東京地方裁判所 平成元年(特わ)259号 判決 1991年4月26日
主文
被告人を懲役一年六月に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
被告人から金一一三五万円を追徴する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和六〇年四月一日から同六二年一月一九日までの間、日本電信電話株式会社企業通信システム事業部長として、所属の社員を指揮監督し、大規模な複合通信システムのコンサルティング、設計、建設、販売、保守(ただし、保守については同六〇年一二月二七日から)及び所掌業務に関する契約の締結等の業務を処理する職務に従事していた者であるが、同六一年九月上旬ないし中旬ころ、東京都千代田区内幸町<住所略>大和生命ビル内日本電信電話株式会社企業通信システム事業部において、株式会社リクルート代表取締役社長Cから、同社の関連会社であるファーストファイナンス株式会社代表取締役社長Bを介して、同年一〇月三〇日に社団法人日本証券業協会に店頭売買株式として店頭登録されることが予定されている株式会社リクルートコスモスの株式五〇〇〇株を一株三〇〇〇円で同年九月三〇付けで譲渡したいとの申出を受け、右は、株式会社リクルートが、日本電信電話株式会社から提供を受けた高速デジタル回線を分割して他に再販売する事業(回線リセール事業)を全国規模で展開するに当たり、そのために必要な通信ネットワークのコンサルティング、設計、建設、保守等につき種々の取り計らいを受けたことに対する謝礼及び今後も同様の取り計らいを受けたいとの趣旨のもとに供与されるものであり、また、右株式が右店頭登録後右譲渡価格を明らかに上回る値のつくことが確実に見込まれており、Cらと特別の関係にある者以外の一般人が右価格で入手することが極めて困難であることを認識しながら、その申出を了承し、同月三〇日、Cから右株式を一株当たり三〇〇〇円で五〇〇〇株譲り受けて取得し、もって、自己の前記職務に関してわいろを収受したものである。
(証拠の標目)<省略>
(争点に対する判断)
第一 被告人の職務権限について
弁護人は、被告人の職務中、「保守」についてはその実行及び契約締結のいずれについても当時の企業通信システム事業部(以下「企通」という。)の所掌業務ではなく、したがって、この点につき被告人に職務権限はなかった旨主張し、その根拠として、当時の日本電信電話株式会社(以下「NTT」という。)における企通の所掌業務を規定する昭和六〇年三月七日付け依命通知「昭和六〇年四月の機構改革等について」(同年四月一日から同六一年三月二日までの所掌業務を規定)及び同六一年三月三日付け「組織規程」(同日以降の所掌業務を規定)のいずれにも企通の所掌業務として「保守」が明記されていないことなどを挙げる。
他方、検察官は、企通が大規模な複合通信システムの構築を欲する顧客に対して一元的に対応するNTTの営業窓口として設置されたものであること及び企通が現に株式会社リクルート(以下「リクルート社」という。)からの保守受託の要望に関して行った行為等に照らし、企通が保守の職務を有していたことは明らかであり、前記各職務規定は企通の職務を例示的に列挙したものにすぎない旨主張する。
そこで検討するに、関係各証拠によれば、昭和五八年七月、日本電信電話公社(以下「電々公社」という。)は、来るべき民営化に備え、従来各地域の通信局や電話局に分かれていた顧客窓口につき、各地域にまたがる大規模な複合通信システムの構築を希望する大口顧客からの要望に対応し、これら大口顧客に対する一元的営業窓口の役割を果たす組織として、企業通信システムサービス本部(以下「企通サービス本部」という。)を設置し、同六〇年四月一日のNTTの設立に伴い、企通サービス本部の右業務を引き継いで企通が発足したものであり、その後企通は、現に、かかる一元的営業窓口としての役割を果たしてきたことが認められ、こうした企通の設置経緯及びNTTにおける役割に徴すれば、複合通信システムの構築・販売に当たり、顧客から出される要望に対し、窓口として適切な対応をすることは、企通本来の業務と言うべきであり、本件でも、後述のとおりリクルート社からのTDM、モデム等の通信端末機器の保守受託の要望に対して企通が行った担当部署への取次ぎ等の対応が、その職務としてなされたことは明らかである。
しかしながら、関係各証拠によれば、リクルート社から右保守受託の要望がなされた当時、NTTでは、リクルート社が要望するようなTDM等の通信端末機器の保守を受託することが前例のないことであり、それ故に、その後右保守を受託するに当たっては、NTT電話企画本部(以下「電企本」という。)が中心となって右保守受託に関する一般的基準の作成に当たる組織としてKHプロジェクトが設置され、昭和六〇年一二月二七日、NTT常務会において、右プロジェクトでの検討結果に従って、新たに提供する業務として、右保守受託に関する基本的方針が決定されたことが認められ、これらの事情に照らせば、NTTでは、右常務会決定によって初めて、右保守を業務として実施していくことを正式に決定したというべきであるから、企通の職務を考える上でも、右常務会決定がなされるまでは、保守をその職務と見ることは困難であり、リクルート社の保守受託の要望に対して、右常務会決定前に企通が行った前記のような対応は、被告人自身が当公判廷で供述するとおり、コンサルティングの業務の一環として行われたものと考えるべきである。
他方、関係各証拠によれば、右常務会決定以降、企通は、同六一年三月一八日のリクルート社とのTDM等に関する保守契約の締結に当たり、担当事業部として、契約内容の細部につきリクルート社側担当者との折衝を行い、被告人がこれに最終決裁を与えたほか、右契約に基づく保守料金の請求及び徴収事務を担当し、また、その後、右常務会決定では認められていなかったNTT仕様以外の通信端末機器についても保守を受託するとの方針を決定し、その旨、各地域事業本部(総支社)に通知するなど通信端末機器の保守に関し、種々の事務を担当している事実が認められ、これらに照らせば、企通は、少なくとも右常務会決定によって、自らの顧客に関する通信端末機器の保守について、職務権限を与えられたものと認められる。
第二 わいろ性及びその認識について
一 わいろ性となり得る利益
1 関係各証拠を総合すると、以下の事実が認められる。
(一) リクルート社の関連会社であり、不動産の売買及び賃貸等を営業目的とする株式会社リクルートコスモス(以下「コスモス社」という。)は、昭和六一年一〇月下旬ころに、その株式(以下「コスモス株」という。)を社団法人日本証券業協会(以下「日本証券業協会」という。)に店頭売買銘柄として登録して公開することを予定し、その公開の方法として創業者であるCの持ち株を分売する方法を採用した。ここで、分売とは、当該株式会社の創業者等が、その所有している株式につき、前もって証券会社を通じて売り委託を行い、これに対し、店頭登録日、すなわち売買開始日に、証券会社が受けた買い注文の結果により、一種の入札の形で当日の売買価格(初値)が決定され、右価格で株式の分譲がなされる株式の公開方法である。なお、右売り委託の際には、日本証券業協会の指導により、株価の指針として、最低分売価格とその三〇パーセント増しに当たる最高分売価格が公開され、その範囲内で買い注文が出されて初値が決定されるが、右分売価格は、業界・業態・業績等が類似する会社の株価から所定の算式により算出する方法(類似会社比準方式)によって決定されるため、右類似会社さえ決まれば、右分売価格もおおむね定まる関係にあった。
(二) コスモス社は、昭和六一年一〇月下旬の株式店頭登録に向け、主幹事証券会社である大和証券の協力のもとに着々と準備を進め、同年六月ころには、当時の株式市場が全般的に活況を呈していたこと、昭和六一年に入ってコスモス社のマンション販売等の業績が急速に伸び、マンション供給戸数で業界第二位に浮上したことなどから、コスモス株の公開後の株価は、一株四〇〇〇円から五〇〇〇円程度にはなるとの予測が同社幹部の間で定着していた。その後、同年九月一六日、Cほかリクルート社及びコスモス社の幹部並びに大和証券の担当者らが出席した打合せ会において、前記類似会社比準方式における類似会社をマンション販売戸数で業界第一位の大京観光株式会社及び総合不動産業で業界第一位の三井不動産株式会社とする方針が決められ、その際、右二社の当時の株価を基準として、最低分売価格が四一六二円、最高分売価格が五四一〇円との試算がなされた。
(三) 同年一〇月一三日、コスモス社は、取締役会において、右二社を類似会社として、最低分売価格を四〇六〇円、最高分売価格を五二七〇円とすることを最終決定し、同月一四日、幹事証券会社四社の連名で、分売価格を右価格とすること、分売予定日を同月三〇日とすることなどを内容とする株式分売申告書を日本証券業協会に提出し、右協会は、同月一五日、コスモス株の店頭登録を承認した。
(四) コスモス株は、予定どおり同年一〇月三〇日に店頭登録されたが、その際、初値は前記最高分売価格の五二七〇円に寄りつき、その後の一般取引においても、株価は同六二年九月に至るまで常に右初値を上回って推移し、その間の最高価格は七二五〇円であった。
2 以上のようなコスモス株の店頭登録の経緯、その後のコスモス株の株価の推移状況、当時のコスモス社の業績、株式市場全体の情勢のほか、過去の分売による店頭登録の実例等を総合すれば、本件株式の譲渡がなされた昭和六一年九月三〇日当時において、コスモス株が同年一〇月三〇日の店頭登録の際、既に同年九月一六日に試算されていた五〇〇〇円を超える最高分売価格程度の初値をつけ、その後の株価が相当期間右初値を上回って推移することが確実に見込まれる状況にあったこと、また、右譲渡当時、いまだ未公開であり、しかも同年七月二九日まで株式譲渡制限がなされていたコスモス株を、Cらと特別の関係にある者以外の一般人が本件譲渡価格で入手することが極めて困難であったことは明らかである。
このように、本件株式の譲渡は、近く予定される店頭登録後、その価格が一株五〇〇〇円を超えることが確実に見込まれ、かつ、Cらと特別な関係にある者以外の一般人が一株三〇〇〇円の価格で入手することが極めて困難な右株式を右価格で取得させてその差額を得させるという点において、わいろとなり得る利益の供与といえる。
二 被告人の職務との対価性
1 関係各証拠を総合すると、以下の事実が認められる。
(一) リクルート社における回線リセール事業の重要性
リクルート社は、リクルートグループの中核企業であり、主として広告事業、各種情報誌等の出版事業等を営む会社であるが、昭和六〇年四月一日の電々公社の民営化に伴う電気通信事業の自由化に際し、新規事業として回線リセール事業への進出を企図し、同月一八日、電気通信事業法上の一般第二種電気通信事業(自ら電気通信回線設備を設置して電気通信役務を提供する第一種電気通信事業に対し、第一種電気通信事業者から右設備の提供を受けて電気通信役務を提供する事業)の届出を行った。当初のリクルート社の計画は、NTTから自社用に提供を受けた高速デジタル回線の余剰分を再販売するという小規模なものであったが、回線リセール事業の将来性に着目したCの指示により、同年七月上旬ころ、リクルート社は、同事業への本格的進出を決め、以後は、同年九月二一日の同社部課長会における「回線リセール事業に社運を賭ける」とのCのスピーチに如実に示されているように、Cの積極的な事業推進の方針のもと、全社をあげて営業を展開した結果、昭和六一年度には売上原価が四四億円余り(同社全体の約6.4パーセント)で、売上高が二五億円余り(同約1.8パーセント)に、同六二年度には売上原価が二四四億円余り(同約29.3パーセント)で、売上高が一〇四億円余り(同約5.7パーセント)に達した。
さらに、リクルート社は、昭和六一年初旬ころから、それまでの専用回線の単純な再販売に加え、付加価値のある、より高度な電気通信サービスを提供する事業(VAN事業)として、従量型電話交換サービス(WATTS)への進出を検討し始め、同六二年には音声について、同六三年にはファックスについて、右サービスの提供を開始するに至った。
以上のような経緯から明らかなとおり、リクルート社では、回線リセール事業への本格的進出を決定して以来、同社における同事業の占める地位は、極めて重要なものであると認識されてきた。
(二) リクルート社の回線リセール事業におけるNTTの協力の不可欠性
NTTは、リクルート社が回線リセール事業への進出を決定した当時、唯一の第一種電気通信事業者であり、したがって、リクルート社にとって、NTTからの回線提供が同事業展開の不可欠の前提であったことは言うまでもない。
さらに、専用回線の単純なリセール事業は、NTTの専用回線の料金体系が小容量のものに比して大容量のものが割安となっていることに依拠しており、右料金体系の改訂によって、その存立基盤を失いかねない不安定な事業であるため、リクルート社としては、同事業を成功させるため、早期に通信ネットワークを完成させて、将来多数の出現が予想される競業他社に先んじて大きなシェアを確保した上で、速やかにVAN事業へ移行する必要があり、そのためには、NTTによる種々の協力が不可欠であった。すなわち、回線リセール事業の基本的なシステムは、NTTから提供を受けた大容量の高速デジタル回線を各地に設けたアクセスポイント(拠点ビル)に設置したTDM(時分割多重化装置。高速の回線を低速の回線に分割し、低速の回線を高速の回線に合一する機能を持つ装置)を使用して小分けした上、右アクセスポイントと顧客の間をデジタル信号のまま又はモデム(変復調装置。デジタル信号をアナログ信号に、アナログ信号をデジタル信号に変換する機能を持つ装置)を使用してアナログ信号に変換して伝送するアクセス回線で接続することによって成り立つものであるが、右システムを早期に構築するには、自らそのための十分な人材や技術力を有しないリクルート社としては、その希望にそった高速デジタル回線及びアクセス回線の早期開通、アクセスポイントの確保、TDM、モデム等の通信端末機器の保守管理体制の確立、システム構築に関する専門技術的なコンサルティングなどについてNTTの協力が不可欠であった。
(三) リクルート社の回線リセール事業における企通の協力の重要性
昭和五八年秋ころ、企通サービス本部長であった被告人は、リクルート社のCに対し、新型ビル電話の導入を勧誘したが、それを契機に、企通サービス本部とリクルート社との間で、電気通信関連の新規事業について勉強会を催すようになり、以来、企通サービス本部及び企通は、前記のような大口顧客に対する一元的営業窓口としての職務に基づき、NTTのリクルート社に対する窓口の役割を果たしてきたが、その後リクルート社が回線リセール事業への進出を決定した後も、後述のとおり、続けてNTTの窓口としてリクルート社の事業展開に協力してきた。
かかる経緯に加え、当時のNTTにおいては、全国にまたがる大規模な複合通信システムの構築を希望する企業に対して、一元的に対応し得る営業窓口は企通のみであったことなどの事情に照らし、リクルート社が回線リセール事業を展開する上で、とりわけ企通の協力が重要なものであった。
(四) リクルート社が回線リセール事業の展開に当たり企通に対し各種の要望を申し入れ、これに対し企通が各種の取り計らいをしてきたこと
(1) リクルート社は、前記のとおり、大規模な回線リセール事業への進出を決め、昭和六〇年七月上旬ころから、当時のNTTの窓口であった企通を通じて、全国主要都市間のリセール用高速デジタル回線の開通を順次申し込んだが、これに対して、企通は、リクルート社の要望する通信ネットワークが全国にまたがる大規模なもので、その構築には、企通のみならず各総支社等NTTの他の事業部門の協力が不可欠であったことから、これら他部門の担当者らをも参加させてリクルート社への総合的対応に当たる組織として、同月中旬、被告人の指示に基づき、企通内にリクルート・ネットワークプロジェクトチーム(R―NWプロジェクト)を設置し、企通の流通・サービス部門の長として従来からリクルート社を担当していたAがその責任者となった。
以後、R―NWプロジェクトは、週一回程度の割合でリクルート社側の担当者らと打合せを重ね、その結果は、その都度書面にまとめられてAから被告人に報告されていたが、右打合せの中でリクルート社は、昭和六一年一月ころまでに全国規模での営業を開始することを希望し、そのために、必要な回線を早期に開通することのほか、リクルート社が使用するTDM、モデム等の通信端末機器の保守をNTTが受託すること、リクルート社のアクセスポイントとしてNTTの通信局舎を貸与することなどを要望した。このうち、通信端末機器の保守は、リクルート社自身にはそのための人材も技術力もなく、また、リクルート社への通信端末機器の販売元である日本ダイレックス株式会社でも全国規模での保守は困難な状況にあり、その点全国各地に豊富な人材を持ち、かつ、高い技術力を有するNTTが保守を受託することは、リクルート社にとって大きな利益をもたらすことであり、また、NTT通信局舎の貸与は、アクセスポイントと電話局との間に敷設されるべき回線を省ける点、建物の構造がもともと通信機器の設置に適したものである点、NTTの局舎内に自社の拠点を置くことによりNTTの持つ通信事業における信用を利用できる点などにおいて、リクルート社にとって多大な利益をもたらすことであって、いずれも、早期に信頼性のある通信ネットワークの構築を目指すリクルート社が切望する事項であった。
そして、これらの事項は、いずれも現場での実行を担当すべきNTTの各総支社等の協力を不可欠とするものであったため、企通は、被告人の指揮のもと、これら関係部署に右リクルート社の要望につき検討を依頼し、その一方、被告人は、当時のNTT代表取締役社長Dにリクルート社の回線リセール事業の概要やその要望につき説明し、同社への積極的協力についての了解を取り付けた上、CがDに面談し直接協力を要請するための機会を設定するなどした。
(2) ところが、当時の東京総支社など各総支社では、リクルート社の回線リセール事業がNTTの専用回線の販売と競業する関係にあることなどから、リクルート社への協力に消極的な姿勢を示し、また、NTTの通信局舎を管理する通信網事業本部準備室(昭和六〇年一一月以降のネットワーク事業本部)やTDM等の保守受託業務に携わる電話企画本部準備室(同月以降の電話企画本部)などの所管部署においても、リクルート社が要望するような通信端末機器の保守受託や他社への通信局舎の貸与が前例のない事項であったことなどから、同じく消極的な姿勢を示した。
そこで企通は、昭和六〇年九月一日、リクルート社の通信ネットワーク構築に対して、より積極的に対応すべく、同社との間で通信ネットワークに関するコンサルティング契約を締結した上、同年秋ころ、リクルート社の回線リセール事業担当者らが同事業への協力要請のためNTTの各総支社を訪れるに当たり、Aがこれに同行して仲介の役割を果たし、また、同年九月一九日には、全国各総支社の企業通信システム関係の営業担当者を集めた企通主催の全国会議を開催し、その席でリクルート社の回線リセール事業への積極的協力を要請するなどして、リクルート社の前記要望実現のための積極的な対応を行った。
その後も、企通は、リクルート社に対し、以下のような種々の取り計らいをした。
① 回線の早期開通について
リクルート社は、前記のとおり、昭和六一年一月ころまでに全国主要都市間の回線開通を要望していたが、当時NTTは、高速デジタル回線の供給が需要に追いつかず、リクルート社の右要望に十分対応しかねる状態であった。
そこで、企通は、東京総支社等の各総支社や専用回線事業部準備室(昭和六〇年一一月以降の高度通信ネットワーク事業本部専用回線事業部)など所管部署に早期の設備対応を要請する一方、R―NWプロジェクトにおいて、回線の容量を落とすことなどによって早期に暫定開通する方法を検討し、所管部署に取り次ぐなどの対応を行った。
その結果、リクルート社は、NTTから、昭和六一年三月までに、東京と全国主要六都市との間を結ぶ高速デジタル回線の提供を受け、これにより全国規模で回線リセール事業を展開することが可能となった。
② 通信端末機器の保守受託について
リクルート社は、当初、自社が独自に日本ダイレックス株式会社から購入する米国製のTDM、モデム等の通信端末機器(いわゆる自営機器)の保守受託をNTTに要望していたが、かかる自営機器の保守はその技術的困難性の故に当時のNTTにおいては受け入れ難い状況にあった。
そこで、被告人は、リクルート社が導入する米国製のTDM、モデム等につき、NTT経由で調達し、NTTで仕様化した上でリクルート社に販売するという方法によって、NTTがその保守を引き受けることを企図し、リクルート社の了解を得た上、右の方法が当時日米貿易摩擦に関連してNTT内の懸案事項となっていた国際調達額の拡大に寄与できることを一つの説得材料として、NTT社内の調整に努め、昭和六〇年一〇月上旬ころには、社内的なコンセンサスを得るに至った。
その後、同年一〇月一七日、NTT技術委員会は、企通の申請に基づき、リクルート社がNTT経由で購入する米国製のTDM等の通信端末機器を仕様化することを決定し、あわせて、これらの機器の保守受託に関する一般的基準を電企本が中心となって作成することを決定した。
これを受けて、電企本は、右基準の検討に当たる組織として、KHプロジェクトを設置したが、右プロジェクトには、企通からAが参画し、当時リクルート社が強く要望していた末端ユーザーから末端ユーザーに至る回線全体を通しで品質保証すること(エンド・エンドの品質保証)を提案するなど右基準に顧客であるリクルート社の要望を反映させるべく取次ぎの役割を果たした。
その後、同年一二月二七日、NTT常務会は、右基準につき、KHプロジェクトでの検討結果に従って、NTTから専用回線及びTDM等の通信端末機器を購入するという条件のもとで回線リセール業者からの専用線網の保守受託に応じるが、エンド・エンドの品質保証はしないことを決定した。
同六一年三月一八日、右基準に従って、NTT社長Dとリクルート社社長Cとの間で、TDM、モデム等の通信端末機器に関する売買及び保守契約が締結されたが、右契約の締結に当たり、企通は、担当事業部として、契約内容の細部についてリクルート社側担当者との折衝に当たるなどの事務を行った。
③ 通信局舎の貸与について
NTTでは、通信局舎の他企業への貸与が前例のない事項であったため、電企本主催によるプロジェクトでの検討結果に基づき、昭和六〇年一二月二七日の前記常務会において、一定の条件を満たす他企業への局舎貸与を積極的、かつ、公平に行うこと及び右貸与を各総支社長を含む事業本部長の権限とすることなどを内容とする一般的基準を決定した。
ところで、リクルート社は、同年一〇月初旬ころ、企通に対し、全国五〇か所余りに及ぶ局舎の貸与を要望していたが、当時のNTTの実情に照らし、大量の局舎貸与は困難である旨の被告人の説明を受け、同六一年一月には貸与希望を一四か所に限定するに至った。
そこで企通は、全国の通信局舎を管理し、前記常務会決定に基づきその貸与権限を有する各総支社を、取りまとめる立場にあった電企本及びネットワーク事業本部にリクルート社の右要望を取り次いだが、いずれも消極的な反応しか示さなかったことから、同年二月中旬ころ、自ら各総支社宛に、貸与可能な局舎スペースがあるか否かについての照会文書を送付した。
右照会に対し、東京代々木局等三か所から貸与可能との回答があったため、企通は、Aらが現地に出向いて担当者らと工事の打合せなどを行い、特に代々木局舎については現場の対応が鈍かったことから、被告人自ら東京総支社長のもとへ赴いて早期の対応を要請するなどし、その結果、代々木局舎については昭和六二年一月、他の二局については同六一年夏ころにリクルート社社長とNTT各総支社長との間で賃貸借契約が締結され、既に、テストケースとしての貸与が決定していた大阪梅ケ枝局を含めて、計四局舎につき、リクルート社への貸与が実施されるに至った。
(3) このようにして、昭和六一年春ころには、リクルート社の全国規模の通信ネットワークが構築されるに至ったが、いまだリクルート社の予定する全国各地を網羅したネットワークの完成には程遠い状況にあり、また、競業他社の相次ぐ参入や同年一〇月のNCC(NTT以外の第一種電気通信事業者の総称)各社の営業開始を控え、競争関係がいよいよ激化しようという状況下にあって、リクルート社は、なお、NTTの各種協力を必要としていた。
そこで、リクルート社は、NTT社員を営業に同行し、あるいは、NTT社員を講師とした顧客向けセミナーを開催するなどして、NTTが持つ電気通信事業における信用を利用した事業展開を企図したが、企通は、被告人やAらが、Cらの営業活動に同行し、あるいは、右セミナーでの講演依頼に応じるなどしてリクルート社の営業活動に協力した。
また、リクルート社は、昭和六一年初めころから、VAN事業として従量型電話交換サービスへの進出を検討してきたが、これに対し、企通は、積極的に支援すべき旨のD社長の指示を受け、リクルート社のVAN事業進出への対応部門として、企通内に、「R―VAN推進室」を設置し、その後、同年末ころには、電企本等と協議の上、前記昭和六〇年一二月二七日の常務会決定では認められていなかったNTT仕様以外の通信端末機器の建設・保守等についても受託するとの方針を決定し、リクルート社が右従量型電話交換サービスにおいて使用を決定した他社仕様のTDM等につき、保守を受託するに至った。
2 以上のとおり、リクルート社の社長として回線リセール事業の推進を主導してきたCにとって、企通の長である被告人は、同事業を展開する上で極めて重要な取引相手であり、両者の間には、リクルート社の同事業に関して密接なつながりがあったものといえるが、反面、関係各証拠によれば、Cと被告人との間には、リクルート社の右事業に関するビジネス上の付合いを超えた個人的な交際関係は全くなかったことが認められる。そして、本件では、こうした間柄のCと被告人との間で、前記のとおり総額一〇〇〇万円を超える利益を確実にもたらす株式の授受が、Cの側からその購入資金の融資まで世話をするという殊更有利な条件のもとでなされたのであり、これらの事情に照らせば、右譲渡がリクルート社の回線リセール事業について被告人から前記のような取り計らいを受けたことに対する謝礼及び今後も同様の取り計らいを受けたいとの趣旨のもとになされたことは優に認められる。
この点について、譲渡人であるCは、弁護人が証拠とすることに同意した検察官に対する供述調書において、「甲さんの職務に関し、色々御世話になった謝礼の趣旨でコスモス株をお譲りしたということは絶対認める訳にはいきません。これを認めれば、取りも直さずわいろを認めたことになり、結局マスコミ攻勢を追認して、私が負けたことになります。」(平成元年二月二〇日付け)などと供述する一方で、「コスモス株の譲渡先について、どのような考えの下に人選したかと言いますと、抽象的には、リクルートグループの社業の展開や業績の拡大に関し、直接間接にプラスになっていただく人という経営者としての先行投資的な思いがあったことは否定し得ません。」(同月二四日付け)、「甲さんには、回線リセール事業を通じて仕事上関わり合いがかなりありました。平たく言えば、ギブアンドテイクの間柄だったのです。そんなことで私は値上がりが確実に見込まれるコスモス株をお譲りすることで、喜んでいただきたいと思いました。」(同月二六日付け)などと、実質的には本件株式譲渡と被告人の職務との対価性を認める供述をしており、また、Bは、刑訴法三二一条一項二号前段によって採用した検察官に対する供述調書(同年三月一三日付け)において、「Cさんが社外の人に店頭登録間近のコスモス株を一株三〇〇〇円で分けると聞いて、Cさんは社外の世話になった人などに利益を得させて、これまで世話になった御礼の意味やこれから世話になろうとしている人によろしく頼むという意味の御礼としてコスモス株を配ろうとしているのだと思いました。」、さらに、弁護人が証拠とすることに同意した検察官に対する供述調書(同年四月五日付け)において、「このように何かとお世話になっていることから、そのことに対するお礼の意味と今後ともよろしくというような意味で甲さんにコスモス株を譲渡するのだと思いました。値上がりが確実に予想され、誰しも手に入れることができない株である上、全額融資付という相手にしてみれば大変有利な喜んでもらえる話ですからそういう意味以外には考えられませんでした。」などと、同じく右対価性を肯定する供述をしているが、右各供述内容は前認定の事実経過とよく符合し、自然かつ合理的なもので十分信用できる。
3 弁護人は、「企通及び被告人がリクルート社の回線リセール事業に関して行った行為は、いずれも専らNTTの利益を目的としてなされた通常の業務行為で、リクルート社のみの利益をはかる不正な行為ではなく、かえって、リクルート社では、NTTあるいは企通の対応につき大きな不満を持っていた程であるから、被告人がリクルート社の回線リセール事業に関し、種々好意ある取り計らいをしたという事実はない」旨強調する。しかしながら、職務との対価性の認定においては、被告人の職務行為がNTTの利益を度外視してリクルート社のみに特別な利益を与えるという意味で不正な行為であることは必要ではなく、それがリクルート社にとって利益をもたらすものであることが認められれば十分というべきであるから、弁護人の主張する点は何ら職務との対価性の認定を左右するものではない。
4 以上により、本件株式譲渡と被告人の職務との間には対価性が認められる。
三 被告人のわいろ性の認識
1 わいろとなり得る利益の認識について
(一) 関係各証拠を総合すると、本件株式譲渡の際、C及びBと被告人との間で、以下のようなやりとりがなされたことが認められる。
Cは、昭和六一年八月ころ、取引その他で世話になった社外の者多数に、近く店頭登録が予定されるコスモス株を特に有利な条件で譲渡することを企図し、その内の一人として、前認定の趣旨から、被告人に同株五〇〇〇株を譲渡することを決め、同年九月上旬ないし中旬ころ、企通に電話を入れ、被告人に対し、「今度、コスモス株を店頭公開するので、五〇〇〇株持って頂きたい。詳しい話は追ってBに説明させる。」旨申し入れた上、Bに対し、被告人のもとに赴いて、同人にコスモス株五〇〇〇株を一株三〇〇〇円で、ファーストファイナンス株式会社(以下「ファーストファイナンス」という。)の融資付きで引き受けてもらうための手続をするよう指示した。
そこで、Bは、Cの被告人に対する右株式譲渡が前認定のような趣旨でなされることを十分承知した上、そのころ、契約関係書類を持参して企通の被告人のもとを訪れ、その際、右売買条件のほか、コスモス社がリクルートグループに属しマンション等を扱う不動産会社であり、同グループ内でも大変成長している会社でマンション業界では大京観光に次いで第二位であること、コスモス株が近々店頭公開される予定であることなどの事情について説明したところ、これらの説明を聞いた被告人は、右条件により本件株式を買い受けることを承諾し、株式売買約定書、金銭消費貸借契約書等に署名・押印して、それらをBに交付し、株式譲渡の日付けを同年九月三〇日として、右各契約が締結されるに至った。
(二) 右のように本件株式譲渡の際、C及びBから被告人に対し、コスモス社の成長性・将来性やコスモス株の店頭公開の予定につき説明がなされていることに加え、当時の被告人は、NTTにおいて専ら企業向けの営業を担当する企業通信システム事業部長の地位にあって、相当程度経済事情に通じていたはずである上、自ら株式の取引を行った経験もあって、株式に関してはある程度の知識を有していたことが窺われること、当時の株式市場での株価は全般に上昇傾向にあったが、そのことは一般に知られた事柄であったこと、前認定のように、当時Cから見て被告人は、回線リセール事業の運営上極めて重要な取引相手であり、かかる両者の関係からすれば、Cがことさら被告人に過大な負担を負わせる恐れのある株式譲渡の話を持ち掛けることは考えられないのであって、Cが被告人に対し総額一五〇〇万円にものぼる、被告人にとっては相当の経済的負担になると思われる株式の譲渡を申し出、しかも年利七パーセントの複利での融資を自ら世話してまで強く引受けを勧めていることからすれば、Cが被告人に株式公開後の株価値上がりによる利益を得させ、時期をみてこれを売却換金して融資を清算してもらえばよいとの意図から本件株式の譲受けを勧めていることは、被告人にとって容易に推察し得るはずであることなどの事情を考慮すれば、被告人としては、本件株式譲受けの際、少なくとも本件コスモス株が近く店頭登録という方法で新たに公開され、これまで行われていなかった市場取引が開始されること、そして、当時の株式市況やコスモス社の将来性等を考慮すれぱ、本件株式の価格は右公開を契機としてほぼ確実に上昇するであろうこと、そしてまた、公開前に本件株式を前記譲渡価格で入手することが一般人には極めて困難であったことにつき、認識して然るべき状況にあったものといえる。なお、証人長山裕一は、「新規公開の株が値上がりするということが、一般投資家に理解されるようになったのは、昭和六二年二月NTTの株式が公開されて非常に値上がりした以後のことである」旨供述するが、右は一般論に過ぎず、前記の具体的状況下での被告人の右認識を否定するものではない。
被告人は、検察官に対する供述調書(平成元年三月一日付け)において、「Bの説明を聞き、株式が店頭市場に公開されるということは、相撲でいう番付けに載るようなものだから、コスモス社の成長性と実力の現れだと思い、コスモス株が市場において値上がりが見込まれると認識した」旨、また、「コスモス株は近々店頭市場に公開するとのBの説明から、コスモス株は当時未公開株で、言うならばクローズドされた株であるから、限定された特定の人しか手に入れることのできない株であると考えた」旨供述し、当時右のような認識があったことを認めている。そして、右供述は、前記の事情に照らし至極自然な内容である上、NTTの取締役まで務めた被告人の社会的地位や経歴、経験、その他当公判廷での供述態度等に照らし、いかに身柄拘束中とはいえ、被告人が検察官の誘導・示唆等に安易に迎合して意に反する供述をするとは考え難いことなどをも考慮すれば、信用性の高いものといえる。
(三) 弁護人は、本件株式譲受け当時被告人が店頭市場及び未公開株について知識を有しなかったこと、右譲受けの際C及びBから被告人に対し本件株式の店頭登録の経過や登録後の見込み価格等につき何ら説明がなされなかったことなどを挙げ、したがって、当時被告人には、店頭登録後の本件株式の見込み価格を知り得るはずがなく、本件株式が店頭登録後確実に一株三〇〇〇円の譲渡価格を上回る値をつけると見込まれたことの認識はなかったし、また、本件株式を右譲渡価格で入手することが一般人に極めて困難であったことの認識もなかった旨主張する。しかしながら、わいろ性の認識を認める上においては、被告人が、本件株式の店頭登録後の見込み価格を正確に把握し、自己が取得する利益の具体的な価額を認識することまでは要せず、本件株式が右店頭登録後一株三〇〇〇円の譲渡価格より明らかに高い値のつくことが確実に見込まれ、そしてまた、公開前に右株式を右譲渡価格で入手することが一般人には極めて困難であって、その譲受けが自己に利益をもたらすものであることの認識があれば十分というべきであり、かつ、前記のとおり、これらの認識があったことは優に認められるから、この点に関する弁護人の右主張は採用できない。
2 職務との対価性の認識について
(一) 前記のとおり、本件株式譲渡は、リクルート社の社長であるCが、NTT企通の長である被告人に対し、リクルート社の回線リセール事業に関して、職務上の取り計らいを受けたことに対する謝礼及び今後も同様の取り計らいを求める趣旨で、店頭公開後に見込まれる株価の値上がりによる利益を得させるためになされたものであるが、リクルート社の回線リセール事業に関して密接な関係にある反面、個人的な交際関係のないCと被告人との間において、明らかに利益を生むことが期待される本件株式が多数、しかもCの側から購入資金の融資の世話をするという殊更有利な条件で授受されたことに照らせば、本件株式譲渡が右のように被告人の職務への対価の趣旨でなされたことは客観的状況から見ても明らかなところであり、この点被告人としても、当然認識して然るべき状況にあった。
被告人は、検察官に対する供述調書(平成元年三月一日付け)において、「C社長がコスモス株の譲渡先として私を選んだのは、企通とリクルートとの間に仕事上の関係があり、私が企通事業部長としてその仕事に関与していたからだと思った。つまり、一般的な言葉で言うと、C社長は、これまで仕事上でお世話になりました。これからもよろしくという気持ちから私をコスモス株の譲渡先として選んでくれたと私は思った」旨供述し、本件株式譲渡と職務との対価性の認識を認めている。そして、右供述は、既に認定したような被告人とCとの職務上の関係、本件株式譲渡のいきさつなどの客観的事情に照らし、極自然である上、前述のような被告人の社会的地位など被告人の検察官調書に対する信用性の高さを示す事情をもあわせ考えれば、十分信用に値するものといえる。
(二) 弁護人は、Cと被告人との関係は、リクルート社が企通の売上のトップを占める顧客であることなどに照らし、Cの方が圧倒的に優位な立場にあり、Cの方から被告人にわいろを供与するような状況にはなかった旨主張する。確かに、企通の側から見て、大口の顧客であるリクルート社が重要な取引相手であったことは否定できないものの、他方において、前認定のとおり、リクルート社としても回線リセール事業の展開に当たってNTT、とりわけ企通の協力が重要であり、その状況が本件株式譲渡の当時においても、基本的に変わらないことは明らかであるから、あたかも企通の側のみが一方的な受益者であるかのごとき弁護人の右主張は到底受け入れ難い。
さらに、弁護人及び被告人は、「被告人は、本件コスモス株をCとの信頼関係維持のために、安定株主となる意図のもとに購入したものであり、種々好意ある取り計らいを受けたことの謝礼及び今後も同様の取り計らいを受けたい趣旨であることの認識は微塵もなかった」旨主張し、その裏付けとして、被告人は以前にもCからリクルート社の株式一万株を譲り受け、その後右株式を保有し続けたこと、被告人は本件株式を店頭登録後も保有し続け、NTTを退職してリクルート社との関係が断たれた後である平成元年一月一三日になって初めてこれを処分したことなどの事実を指摘する。
確かに、関係各証拠によれば、弁護人指摘の事実が認められ、これらの事実に徴すれば、被告人は本件株式譲受けの際、しばらくの間右株式を保有し続ける意図を有していたことが窺われる。しかしながら、かかる意図と本件株式譲渡が被告人の職務への対価としてなされることを認識することとは併存し得ないものではない。むしろ、前認定のとおり、密接な取引上の関係にあったCと被告人との間柄からすれば、被告人としては、一面、本件株式譲渡が自己の職務への対価としてなされることを認識しつつも、他方で、今後のリクルート社との関係を考慮して、しばらくは処分を控えて保有し続けることも十分考えられるところである。
仮に、弁護人の主張する「被告人はコスモス社の安定株主となるために本件株式を譲り受けた」との趣旨が、被告人に何らの利益ももたらさず、その職務とも関係がない単なる安定株主になって欲しいとの趣旨で譲渡されたものと認識したということであれば、被告人は前記のとおり既にリクルート社の株式一万株を四〇〇万円で引き受けており、さらにCが、被告人に、何らの利益にもつながらないコスモス株を引き受けさせ、同社の安定株主になって欲しいとの趣旨のみで一五〇〇万円もの負担を負わせるとは到底考えられず、被告人も単に信頼関係維持のため、複利資金を借りてまでこれを買い受けるとは考え難いのであって、これらの事情に照らせば、被告人の認識が弁護人の主張するようなものでないことは明らかである。
3 以上により、被告人は、本件株式譲受けの際、右株式譲受けによって得られる利益が、被告人の職務行為に対する対価として供与されるわいろであることを認識していたものと認められる。
(法令の適用)
被告人の判示所為は日本電信電話株式会社法一八条一項前段に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、判示犯行により被告人が収受したわいろは、前判示のとおり、近く店頭市場への登録が予定され、一般人が入手することが極めて困難な本件株式を右登録後に見込まれる価格よりも明らかに低い価格で譲り受ける利益であり、その性質上没収することができないものであるから、日本電信電話株式会社法一九条後段により、その価額を追徴すべきであるが、その価額は、本件わいろが収受された昭和六一年九月三〇日当時において、店頭登録後に見込まれた本件株式の価格から本件株式を取得した対価を控除した差額に相当するものというべきである。ところで、本件においては、株式の授受時と店頭登録により市場価格が形成された時期との間が短いこと、経済情勢ひいては株式市況に大幅な変動が予想されず、株式発行会社の経営も安定していることなど、同社の株価に変動をもたらす特段の事情が認められないので、店頭登録直後の現実の株価は本件株式授受時に見込まれた店頭登録後の株価をほぼ示すものと認められるところ、現実の株価は、店頭登録された昭和六一年一〇月三〇日の初値が五二七〇円であり、その後同六二年九月まで常に初値を上回っていたことが認められ、右株価の推移に照らせば、本件わいろが収受された当時において見込まれた店頭登録後の本件株式の価格は、少なくとも五二七〇円を下回ることはないと認められ、右価格を基準として本件わいろの価額を算定するのが相当である。そうすると、右価格の合計二六三五万円から本件株式の譲受価格一五〇〇万円を控除した差額一一三五万円が本件わいろの価額と認められるので、被告人から右金額を追徴することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとする。
(量刑の理由)
一 被告人の経歴
被告人は、昭和三二年、大学卒業後、電々公社に入社し、以来主として技術職に従事し、同五八年七月企業通信システムサービス本部長、同六〇年四月一日、NTTの設立に伴い右企業通信システムサービス本部が改組されて成立した企業通信システム事業部長、同六二年一月二〇日同部の事業本部への昇格により企業通信システム事業本部副事業本部長、同六三年六月二九日同社取締役・企業通信システム事業本部副事業本部長を歴任したが、本件に関連して、同年一二月右副事業本部長を解職され、同月一五日取締役を退任するに至ったものである。
二 量刑上考慮した事情
本件は、NTTの企業通信システム事業部長であった被告人が、電気通信事業の自由化に際し、回線リセール事業に進出したリクルート社に対し、自己の職務に基づいて各種協力をしたことの対価として、リクルート社の社長であるCから、コスモス社の株式を特に有利な条件で買い受けて利益を受けたという日本電信電話株式会社法上の収賄罪にあたる事案である。
NTTは、電々公社の権利義務一切を承継して設立された特殊会社であり、言うまでもなく我が国の電気通信事業の中核を担う企業として、あまねく国民への安定的な電気通信サービスの提供に努めるとともに、今後の電気通信事業の発展に寄与すべき社会公共的使命を負う立場にあるが、なかでも企業通信システム事業部は、企業向けの大規模な複合通信ネットワークの設計、建設等最先端の通信サービスを提供することをその職務とし、今後さらに複雑化・高度化が予想される電気通信事業への国民的ニーズに応えるために、主導的な役割を果たすべき重要な事業部門であった。そして、被告人は、かかる重要な役割を担う企業通信システム事業部の最高責任者として、部下職員の模範となるべき立場にありながら、安易にCらの申出を受け入れて本件株式を譲り受け、その結果、一〇〇〇万円を超える多額の不正利益を得たもので、民営企業として発足後間もないNTTに汚点を残し、NTT職員に期待される職務の公正・廉潔とそれに対する一般の信頼を著しく損ねた責任は重く、また、特に、本件は、NTTの民営化に伴い電気通信事業者間の競争に備え、民間企業の営業知識を導入するのあまりに、NTT職員としての立場を忘れ、ひいては規範意識に弛緩をきたした結果に起因するところでもあり、この点からも被告人の刑事責任を軽視することはできない。
他方、リクルート社の回線リセール事業に関し被告人が行った職務行為には、格別違法・不当な点は認められず、むしろ民間会社の営業担当者としては、大口の顧客であるリクルート社へのサービスとして必要な対応であったといえる。特に、民営化して間もなく、当時のD社長の指導のもと、民間会社としての急速な意識変革を必要としていたNTTにおいて、被告人の行ったリクルート社への積極的な営業展開は、先駆的な意義を有していたとさえいえ、その熱心な職務への取組は一面評価に値する。
また、被告人の本件株式の譲受けは、Cらからの一方的働き掛けに応じた受動的なものであり、しかも譲受けの動機については、被告人自身が言うとおり、重要な取引相手であるCからの申出を無下に断りにくいという面があったことも否定できない。
さらに、被告人は、本件株式を店頭登録直後に売却して換金せず、またその積もりもなく、しばらく保有し続けた結果、高値での売却ができず、結局現実の金銭的利得を得るには至っていない。
そのほか、被告人は、これまで技術者として電気通信事業の発展に貢献し、今後もさらなる貢献が期待されること、被告人の功績や人柄を評価する多数の関係者等から当裁判所宛に嘆願書が提出されていること、被告人は本件の発覚により社会の指弾を浴び、その職務を辞し、また、五〇日間近くに及ぶ身柄拘束を受けるなど、かなりの社会的制裁を受けていることなど被告人のために考慮すべき事情も認められるところである。
そこで、以上の諸事情を総合考慮の結果、被告人に対しては、主文掲記の刑に処した上、その刑の執行を猶予するのを相当と認める。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官新矢悦二 裁判官大西勝滋 裁判官久我泰博は、転補のため署名押印できない。裁判長裁判官新矢悦二)